郡家城

別名 田村城 付近住所 淡路市中村126 現在 妙京寺
2005/10/6 碑・案内板アリ 日本城郭大系


田村氏

初代城主田村刑部大夫春方公の祖は坂上田村麿将軍なり 12世仲寶公弘安年中勅に依り信州新井庄より来たり幽宮の祭司となり下河合に城郭を構え其子孫連綿と続く 所領は郡家郷 志筑庄 草加 播州加古川 溝口 明石大蔵谷 泉州佐野 河内国等なり後再び田村麿の末孫信州城主義康公の孫春方公當地に来たり祭職を継承中村に築城事寶上初代城主となる 随う重臣は石上氏 砂川氏 伊東氏 渡邊氏 河合氏 都志氏 田村氏等なり公は當山に寶珠法経五千部を奉納 明慶343日薨去さる
 2代城主左馬正春良公は永正18年當山を此地に移し宏壮な伽藍を造営 大永2年寺領を寄進 5年一宮宝殿を建立 同年723日薨去さる
 3代城主左馬助盛春公は法治元年一宮社殿を造修 同年413日一宮社家六坊を廃し宮坊を建立當山の末寺として一宮の神事を執行せしめ 當山を一宮別當に任ず 3年當山御堂を造立 永緑2314日薨去さる
  4代城主修理之進村春公は永禄9年一宮本殿造立 天正6年當山御堂瓦造営 7117日薨去さる
 5代城主治部兵衛経春は国士無双の武将にして法華経の大信者なり 天正7年織田信長公より武田攻撃の先峰たる下命あり再三の催促を拒否し切れず下命に従わば家臣を死傷せしめ良民を苦境に陥る事と成らんか進退茲に窮まり意を決し當山の祖霊を拝し信長公の使者に家臣良民の後事を託し従容として自盡さる 時に天正9318日なり
嗚呼古城は疇昔に非ず今人自ら来往すと 惟うに世は戦乱攻城野戦を事とす 然れども代々の城主大乘妙典に帰依し佛祖の遺誠を遵守し寺社に盡せし偉業を称美讃歎し身軽法重烈信の崇祖の偉霊を顕彰せんのみ

        

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